今回で三猿物語は終わり。最後は、悪い方向に心が傾くようなことは聞くな、という教えの”聞かざる”。人の悪口を言ったり、惑わすような人の言葉は聞いてはいけない、ということだろうか。とかく、人の不幸話や失敗談は、自分の立ち位置が優位に感じるからなのか、聞いてみたいと思うことがある。「へ〜、そんな事をしたんだ」と、突拍子も無い物語に発展することもあり、「うんうん、それから・・・」と続きを聞きたいと思うことは私にも経験がある。
神棚に祀る神鏡(しんきょう)、天照大神の神霊をお祀りするという意味もあるが、神鏡に映った我が身の姿を見て、写る自分の顔を見ながら清らかな心であるのか、振り返らせる役目もあるという。悪口に耳を傾けることで神鏡から写る自分自身の姿が、どんどん曇っていき、大切なものが見えなくなってしまうから注意をしたいと思っている。
三猿は自分への戒めであり、喧嘩や恨み言もなく、社会の中でお互いが共存するための知恵だと思う。全部が満点とはいかないまでも、どれか一つでもきっちり守れたら、物事に動じない穏やかな心を保てるようになるだろう。う〜ん・・・、私にはまだまだ修行が足らない気がする。
ところで、三猿の近くには、遠くを見る親猿と、その顔を見上げる子猿が掘られている。理由を調べると、親猿が子供の将来を案じて遠くを見ている様子だそうだ。三猿も面白いが、こちらは心を動かす彫り物だ。生けるもにとって子供の将来を案じることが親の願いであり、責任なんだろう。「百聞は一見にしかず」、日光東照宮は素晴らしい所だ。