おどろおどろしいタイトルであるが、決してホラー映画の話で、膵臓を食べる話ではない。この時期なら桜坂を思い浮かべて鼻歌を歌うように、桜を見ればこの映画が頭に浮かぶことがある。
既にご存知の方なら、後半から読んでいただきたい。ざっくりこの話をすると、膵臓に病気を持った女子高生が余命1年だと分かり、共病日記に日々のことを書いていく。クラスの中で本好きで根暗、人との関わりを避けて誰にも興味を示さないひとりぼっちの男子生徒。この人なら病気である自分に感心はないはずだ。いつもように普通の毎日を過ごしてくれると、死ぬことを告白して「最後にしたいリスト」を2人で実行して行く。情熱的な女の子と淡々と話す男子、お互いが必要な存在だと想いを同じくした時に、突然女子高生が病気とは違うことで亡くなってしまう。と言うストーリーだ。この映画は桜の時期から始まる。そして次の年の桜を見ずに亡くなってしまう。物語の最後で、桜と膵臓をたべたいというタイトルの意味が分かる設定にしている。
桜の花びらが綺麗に咲いて、美しいと思える時間は短いものだ。表向きはそうだが、散った三か月後には芽を出す準備をして、春という一瞬の時期に満開になるために、じっと待っている、と女子高生は語る。
何故この映画が面白いかといえば、女子高生の言葉にとても大切な意味があるように思えるからだ。多分、映画に限らず本やアニメもきっとそうなんだろう。心に響く何かは人によって違うものだ。感性や感情は人それぞれだ。性格も人それぞれで、人と人が関わることで魅力を発揮できる人もいれば、自分自身の魅力だけで勝負している人もいる。時にはお互いがその特性を欲しいと、無いものねだりをするものだ。
人との出会いだとか、仕事が上手くいったとか、全てはその人が選択したことが積み重なって今が存在していると思っている。偶然もたまにはあるであろう。しかしその偶然も何かを選択したから生まれた偶然かもしれない。良いことも、悪いことに引き込まれるのも、自分が何かを選択したからだと思う。
でも、一番大切なことはその選択には旬があることだ。今その時に何かの選択をして行動をしないと、物事は終わってしまう。物事と言うよりもその人の物語と言っても良いだろう。
明日が無いからもしれないということだ。明日がいつものように訪れて、いつものような日常が訪れる確証は全くない。明日死ぬかもしれないし、自分の都合で契約を明日に伸ばしたために、社長の目の前にスーパー英業マンが今日登場するかも分からない。
リスクマネジメントも同じである。「早く、大きく、大胆に」、中途半端では未来を変えることはできないからだ。逆を言えば、未来を同じように続けたいなら、この3つをやり続けるしかないと思っている。
松江も桜は満開、今が旬である。今日できることは今日成し遂げておきたい。明日が同じようにあると思わずに、今日の日が悔いが残らず精一杯で終わるようにしたいと思う。
最後に、「君の膵臓たべたい」このタイトルの意味は映画で解いて欲しい。