左甚五郎が彫ったネズミが動くと噂になって商売繁盛する宿屋。いつの時代でも繁盛したり、人気になると必ず妬む者が現れるものです。

昔昔で始まるおとぎ話の世界、”はなさかじいさん”も妬まれて愛犬が不幸なことになってしまいます。ちなみに犬の名前は無かったと思います。ポチと聞いたような記憶もありますが、犬=ポチみたい雰囲気になったのは、明治頃に出版社された本から?だったような気がします。定かではないですけど・・・

商売繁盛する宿屋を妬んだ真迎えの宿屋のオヤジ。確かに羨ましいと思ったに違いありませんが、人気の宿屋なら溢れて泊まれない人も出てくるはず。ネットで予約なんてできない時代ですから、行ってみないと泊まれるかどうかは分かりません。溢れた客は自然と近くの宿屋に泊まるはず。競うより共存すれば良いのに、と思ったりします。

それでも妬むのが人なんですね。「虎を掘らせてネズミを動けなくさせてやる!」と思った妬みのオヤジ、地元の職人に虎を掘らせてみると、パッタリネズミが動かなくなります。地元の職人が左甚五郎に勝ってしまう、という一大快挙を成し遂げてしまいます。さぞかし妬みのオヤジは大喜びをしたのでしょう。

確かに勝負には勝ったかもしれませんが、商売としては決して良くないでしょうね。ネズミが動かないと見にくる客も激減します。自ずとその街に人は来なくなる訳ですから、シャッター通りになるかも分かりません。そんな未来のことよりも今の現実、目の前の同業者だけが儲かることに腹が立って仕方なかったのでしょう。

動かなくなったネズミの噂を聞いて、左甚五郎が再びその街を訪れます。先ずは、自分を負かしたとされる地元の職人が彫った虎を見に行きます。「えっ!これ虎?」と思ったようで、あまりにも不細工で出来損ないの彫物を見て、唖然としたに違いありません。そりゃそうだ、と誰もが思うはずです。

では、何故ネズミは動かん?自分が彫ったネズミに聞いてみます。「なんであんな出来損ないの虎に、そんなに怯えて動かなくなってしまったんだ?」

ネズミ曰く、「えっ、あれって虎なの?猫かと思った」

落語や講談で語られる一話です。

日光東照宮にも、左甚五郎が彫ったとされる眠り猫があります。裏側には2羽の雀の彫刻があって、猫が眠っているから雀も遊べる、みたいな徳川の大平の世を現したものとされています。左甚五郎は1人ではなかったようで、名工と言われる巧みの職人に与えられた、言わば称号のように広がったようで、全国各地に彫物があるそうです。巧みの職人は極めて稀で名工と言われる存在です。

名工になるために過酷な修行をして、その対価として彫物は高額な値段が付き価値が上がります。一方で万人向けで、広く世間に広がり、普段から愛用している品物を、日々作っている職人さんもいます。値段の高い安いの違いはあれど、質を高めたい、良いものを使りたい、良いものを見てもらいたい、どちらも素晴らしいことです。決して相手を妬んで、陥れてやろうと、と思っている訳ではないはずです。そんなことを行動に移した瞬間にしっぺ返しとなって自分に帰ってきます。

仕事は共存の世界でバランスが保たれ、永続していきます。バランスを崩すものは短命になりやすものです。左甚五郎が掘る彫物には命が宿るとされていました。ノミで木を削る度に語りかけて、目的を与えていったのだと思います。私たちの仕事も相手にしっかりとした目的と仕組みを伝えることができれば、何かの形で人のために役立ち、後世に残るものです。

明日から仕事始め、準備体操しながら過ごして行きましょう。