毎年4月1日は嘘をついても許させる、何とも昭和ちっくな日です。昨日がその日だったことを朝思い出しました。特に披露する嘘もありませんでしたが、最近は嘘などつこうものなら、ネットで炎上し、メディアで叩かれ、いい加減な人だと後ろ指を刺されるかもしれませんから、迂闊なことは言えなくなったような気がします。

このエープリールフールには語源が無く、誰が何のために始めたのか、全く分からないそうです。若い方々はエープリールフールって知っているんでしょうかね?ちょっと聞いてみたい気もしました。

私の一番の思い出は中学生の時です。嫌な授業、特に数学が嫌いでしたから何とかそこだけ切り抜けたいと思っていました。エープリールフールの当日は2時限目が数学、熱が出て病院に行きたいから、昼から学校に行くと自分から電話をしたことがあります。

電話を掛けると用務員のおばちゃんでした。このおばちゃんは母親と昔からの知り合いだったので、校内で見かけた時に話をしてくれたり、チョコレートをくれたこともありました。そんな顔見知りのおばちゃんが電話に出るもんですから、嘘は直ぐにバレます。

「なんで遅れるんかね。熱が出たの?エープリールフールだからって学校を休んだらいけんよ!早う着替えて来んさい。」

担任に繋いでもらえず、最強の受付事務のおばちゃんに負けてしまいました。所謂、テレアポの壁です。それでも毎年エープリールフールの日は何か言わないと損をした気分になったので、「嫌いな○○先生が転任する」とか、「自分が転向する」とか、その時々の話題を絡めて、同級生や先生と交わっていた気がします。嘘をついても、冗談として許される環境だったことに、感謝もしたいです。

嘘はいけないと思います。冗談なら良いのでしょうか?嘘と冗談、何処が違って、何処から嘘になるのでしょう。その境界線は何でしょうか?

ネットで調べると、嘘は事実ではないこと、冗談はその人の態度や姿勢と訳しています。とすれば、「嫌いな○○先生が転任する」と言うのは事実ではありませんから嘘になります。でも、行為を実行する私の態度や姿勢が冗談だと見えてしまうので、大人は許してくれたのかも分かりませんね。事実でないことであっても、その人が現す態度や姿勢で、嘘になったり、冗談として受け止めてくれたりするものなのでしょう。

「嘘も方便」と言うことわざもあります。時には少しだけ事実と違うことを言っても、全体の物事や最後が良ければ、それで良いのでは?という寛容なことわざです。真意と事実からの脱線が大きく無ければ、コミニケーションを図る術として必要になるかも分かりません。

何かと言葉の揚げ足を取られて、迂闊な言葉を発しられない、窮屈な社会に近づいているような気もしますので、エイプリルフールの日だけは冗談が笑いとなって、コミニケーションのきっかけになれば嬉しいと思います。

残念ながら1日過ぎてしまいました。今話掛けると嘘になるので、そのネタは来年まで閉まっておきましょう。エープリールフールは自分の存在を魅せる日になることを期待しています。

今日も1日頑張りましょう!