閻魔大王と言えば死んで会える地蔵菩薩の化身とみなされている方です。閻魔さんともいます。人は誰でも死が訪れますが、神様仏様、はたまた閻魔大王のおはからいなのか、ボケることで記憶を強制的にリセットして安らかに、あの世に向かうことができます。

あの世も金次第と三途の川では船賃を船頭に渡して船に乗りますが、船賃が無いと船にも乗れませんから、この世に強制送還されるという見方もあります。だったらお金を持って行かない方がこの世に帰れて良いのでは?と変な企みが浮かびますが、よこしまな考えはろくなことがないので、素直に船に乗った方が良いと思います。

到着した先は閻魔大王が鎮座する裁判所。部下の鬼たちによって、閻魔大王の前に引き立てられると、もの凄い怖い顔で睨みつけて、この世で何をしてきたのか、悪いことはしていなかったのか、嘘をついて人を騙くらかしていなかったのか、キツい取調べを受けます。自白をして罪を認める人もいれば、生前潔白だと言い張る人、何とかこの場を上手くこなしてさっさと逃げたい人、適当な理屈をこねてその場をやりくりする人、緊張からうっかり本当と違う話しをしてしまう人、生前の真の強さがここで試されます。

と言うことは三途の川を渡ったらまた記憶が蘇る訳ですから、ボケるのは一瞬ってことなんでしょうね。

閻魔さんは人間の言うことを信用していませんから、泣き声や言い訳じみた言葉よりも、事実に基づいた判断をするために裁判資料を用意しています。生前の行いを記録した閻魔帳をパラパラ広げて、その資料をもとに取り調べをします。閻魔さんからの問いに対して、嘘をついたり何か隠しておきたいことがあっても、日本では浄玻璃(じょうはり)、西洋で白雪姫に出てくる魔法の鏡と一緒で、生前の行いが真実として映し出されますので、何一つと言って言い訳やごまかしをすることは不可能です。

「はい、終わり」

と閻魔さんの一言で判決が言い渡されると、再び部下の鬼が出てきて容赦なく地獄へ突き落とされます。全て自業自得で閻魔さんは自分の仕事を公平に遂行しただけです。

きっとあの世に来た沢山の人を見ているので、その人の顔と最初の喋りで判決が決まるくらい、熟練した巧みの技を持っているに違いありません。

余りにも酷い嘘を言うと、「こいつは地獄世界のためにならん奴だ」とキレて、ペンチみたいな道具で舌を引き抜いてしまいます。私もそれだけは勘弁して欲しいので、諦めて全てのことは話そうと思っています。

これはあの世のことだけでは無いと思っています。この世でも閻魔さんはいます。浄玻璃という真実の鏡、魔法の鏡もあります。

「閻魔さんは自分自身です」

良い行いも、悪い行いも、嘘も言い訳も、自分が一番よく知っています。自分自身が決めて行動した結果は自分しか知りません。行動は人が見ていますが、決める心は人には分かりません。行動は後でいかようにも変化できるからです。

営業でお客様と話しをする時には、私利私欲が生まれます。私もあります。特に営業を始めた頃や成績が悪くて何とかしないとエラいことになる場面では私利私欲のエネルギーがMAXになります。多少のごまかしや数字の違い、言い方や表現の違い、微妙なニュアンスでなんとかすることで、目の前にある目的が達成できるなら、”つい”と言う行動に陥ってしまいます。

この”つい“と言う悪魔の言葉は恐ろしいものです。最初は心の格闘があって躊躇した言動も、”つい”を来り返していくと普通のことになり、最後は”つい”が自分の最強の殺し文句に変化して、仕事でも成果をあげることができるようになります。勿論、偽りの成果です。そしていつかは”つい”が引き起こしたトラブルで破綻に追い込まれてしまうでしょう。

営業も接客も事務仕事も全て自分との戦いです。閻魔さんとの戦いです。自分が売る商品や商材、この世で一番そのものを知っているものは自分だからです。

相手とどう向き合うか、それは自分と言う閻魔さんと向き合っていることと同じことです。自分の思う真実は閻魔さんも許してくれる、そう思える仕事を続けて行きたいものですね。

もし自信が無い方がいらっしゃれば、鞄の中にペンチを入れておきましょう。迷った時にそのペンチを見ると、あの世のおぞましい光景が目に飛び込むはずです。

「ペンチは自分自身への抑止力」きっと、何かをしでかすことは無くなるでしょう。

今日は週末、楽しんでいきましょう!