「社員がお客様を見ているようで、見ていないです。どうしたら良いでしょう。」とある社長から、リスクマネジメントの視点から何が良くないのかを見て欲しい、と依頼があった。その時にこんな昔話をしたことがある。

私は近鉄の駅員さんとして難波駅で働いたことがある。当時は改札に座って、パンチという鉄のプライヤーみたいなもので、歯形を入れていた。24時間座っているという地獄の勤務だ。

おまけに切符を切ると10人に1人くらいは、「○○時発の名古屋行きの特急は何番線から出ますか?」と聞かれる。勤務が始まった午前中なら愛想は抜群だが、昼頃からだんだん聞かれることが面倒になってきて不機嫌になる。若気のいたりである。夕方になると一言も喋りたくない。もうほっといて欲しいと思うようになる。何せオウムのように同じことを喋るからだ。

おまけにお客の態度でこっちの態度も変化する。偉そうに話かける人は、言葉も短く、笑顔は出さない。本当に困っていると思った人には丁寧で、指をさしたり、一番近いエスカレーターを案内する。

「何でこの人たちは、あんなに大きい案内表示板に書いてある文字が読めないだ。」と思った。きっと見ているようで見えないだと感じた。それに私も話し掛けられると面倒だから、自分で言葉を発するようにした。自分が楽になるためにだ。

切符を見て、「○番から出るので、その席なら後ろのエスカレーターが近いですよ」と伝えるようにした。大体のお客さんは、ありがとう!と言ってくれて気持ちが良くなった。こっちも言ってあげようと思うようになった。

しかしそうは言っても、難波駅を利用する人は半端じゃ無い。声も枯れてくる。だんだん面倒になって不機嫌になる。「いかん、いかん!」と言って対策を練る。どうしたら楽になるか考える。

改札勤務が長いと見えないものが見えてくるものだ。仮説や想定の確率も飛躍的にあがる。特急券を購入した人の歩く導線が見えるようになって、改札の方に歩いて来るのが分かるようになる。

次はこの人は私に聞いてくるのか、こないのか、その人の行動を見ながら仮説を立てる。挙動不審でキョロキョロする人は大体聞いてくる。そんな人だけに切符を切った直後に、特急の乗り方を丁寧に、そして少しでも歩かないように、楽をする方法とエスカレーターの場所を教えてあげる。大体の人は喜んでくれて、ホームに降りて行く。こっちの負担も少ないから、丁寧に接客できることも分かるようになった。

こんな話を経営者にした。見えているつもりでも、本当見えていないものだと。目に入ったものの多くは、選別されて自分好みの切り取った写真が撮れるものだ。先入観が強い人ほど、できる写真のサイズは部分的で小さいものだ。自分好みのフィルターにかけるからだ。

リスクマネジメントの考え方を社長に伝えた。「目で見たその通りのものを写真で撮るつもりで見てください。全体の写真が撮れれば、問題も見つけやすくなります。見えているつもりでも見えていないものです。自分のフィルターを外したら違うものが見えるかもしれません。だから第三者の目って大事なんです。」

自分のフィルターを外せば、違う世界が見えるものです。今日は違う世界を見る日に挑戦されたら如何でしょうか。