毎月ミャンマージャポンさんが発行される定期冊子が届く。今回の表紙は日本が誇る世界のトヨタが、いよいよミャンマーに生産工場を作ったことだ。これでミャンマーの経済発展も鰻登り、と思った矢先にコロナとクーデターで大きな後退を余儀なくされた。

初めてミャンマーを訪れたのは2018年12月。貿易関係の社長に、「これからはミャンマーだ!」散々聞かされて2年越しで行くことにした。臆病になっていたのは理由がある。海外に2回程行ったことはあったが、一人旅の経験は無かった。20歳そこそこであれば恥ずかしくもないが、オッサンになって一人旅ができないことは、できれば胸の奥に閉まっておきたいと思ったからだ。それに勉強もせずに山奥で暮らしていたので、英語も喋れんし、日本語も危ない時がある。

「保安検査場を出た最初のゲートで待っているから大丈夫だよ」。貿易会社の言葉を信じて島根からミャンマーまでの飛行機の乗り方や、出国カードの書き方をコピーして、迷子にならないように準備万端で現地に向かった。

入国検査員に話しかけられないだろうか、キャリーバックが出てこないんじゃないかと、妄想の質は日本の10倍増しで押し寄せてくる。不安で押しつぶされそうだったが、現実では何事も無くゲートに辿り着いた。「安心した〜」の気持ちは、”オッサンのはじめてのおつかい”状態である。

現実は厳しいものです。妄想で描いていた、「髙橋さん!ようこそ」のプレートを持った人物がいない。15分待っても見つからないから、少しづつ移動して探す。あれやこれやと不安いっぱいで探すこと30分、遂に・・・。

出国用の空港ゲートを出てしまった。やばい!と思って帰ろうとすると、ライフを持った軍人さんに駄目だ!という態度で怒られた。目の前には、俺のタクシーに乗ってくれ!ばかりのミャンマー人が凄い量で群がる。凄い数だ。きっと日本人だと分かったからだろう。もうこの状態は孤独死寸前だった。そんな攻撃を仮死状態になって、これまた10分耐えていたら、ようやく貿易会社の社長が見つけてくれた。「ごめんごめん、会議が長引いて渋滞もあってね。それに飛行機も早く着いたみたいで良かったね」と。

「こっちは死ぬかと思ったぞ。早よ来いよ!」と思いながらも、笑顔で再開するしかなかった。

そんな私でもミャンマーに初上陸できる。海外なんて・・・、と思って気に留めない、動かない経営者は沢山お見えです。でも、動くことで新しい何かを見つけると、何かが芽生え、何かが始まるものです。確かに今は不安定な国であり、未知数の国です。それでも、正常化した時の反動のチャンスは、とても大きいと思います。嫌いにならず恐れずに、ミャンマーを見てもらいたい。