昨日はちっちゃな親睦会がありました。こんな時期なんで、お店選びも慎重に、誰もに迷惑を掛けないようにしないといけません。夜の店も人が来てもらわないと困るので、とても親切に対応してくれます。この相反する現実をどうやって克服するのか、本当に難しいとつくづく思います。

スナックは日本ならでの文化で、アジアには”カラオケTV”というお店もあるほどです。声を大きく出して会話をすることはとても大事です。健康にもイイ。コミニケーションの場であったり、見知らぬ人との出会いもあります。

ママとは心を探り合う会話の勝負を楽しんだりします。優しい笑顔と上手な会話にトキメキを抱かせてくれますが、心に秘めたハードボイルドな世界を突破することは容易ではありません。まあ、だいたいは撃沈してボトルをキープして帰るようになるんでしょうが・・・。

接する機会を作るスナックという日本の文化。昔ながらが無くならないように頑張ってもらいたい。そう願い信じるばかりです。

今日の幻の広浜線は「信じる」をテーマに紐解いてみましょう。

島根県浜田市の下府駅と、旧那賀郡の金城町町今福の区間に鉄道を通すという、とてつもないプロジェクトが計画されました。最終的には、広島まで繋げようとして、広浜線と名付けたのでしょうが、今この時に廃線跡を尋ねると、「そんなん無理じゃん!」と、今どきの高校生なら、バッサリ切って捨てるだろうと思います。それでも当時は、政治家の言葉から発しられる、「生活が便利になる」の殺し文句を信じて、頑張った人が沢山お見えです。

私の父親はその今福という場所で時計店を営んでいました。小さな店でも開業すれば個人事業主と呼ばれ、そこに集まる人の繋がりに目をつけて、政治という世界が接触してくるものです。何がどうなのか分かりませんが、お店の裏の少し離れた所に、「今福橋梁」という今はレガシーとなった物体が突如建設されました。それもたかだか50mくらいのものが、二つ?三つ?です。

政治家も出来上がった橋梁の下で演説をしたそうです。その戦法は浜田市の下府駅から今福の間でも繰り返えされました。予定された線路に沿って、次々とちょっこと戦法という凄い手法で、鉄道事業はホンモノであるかのような物体が現れるものですから、その物体を見た父親は、「鉄道が本当に通るかもしれない」と思ったそうです。

実際は全区間の一握りの工事で、強大な橋梁やトンネル、橋桁が作られたに過ぎません。でも、当時は情報というのは口伝えです。ちょこっとの話が誇大に伝わります。

「何処何処の区間は繋がったみたいだよ」
「半分くらいは工事が終わったたいだよ」
「○年頃には汽車が走るらしいよ」

そんな口伝え、今で言う口コミが広がっていき、あたかも現実のような世界がこの町を支配していたかも分かませんね。本当は数パーセントの工事、そして建設されたその物体さえも中途半端な形で、完成形となっていないことが、幻の広浜線と言われる悲しいレガシーと言えます。

人は言葉を信じます。それがあたかも本当のような話をされたら疑うことも無いでしょう。そのくらい、言葉には力があります。人は信じる言葉を発する責任があります。先生やコンサルタントと呼ばれるには、しっかりとした責任と向き合ってもらいたいし、そうならないといけない、そう思うばかりですね。

是非、幻の広浜線レガシーを訪れてください。

今日も一日、とにかく頑張っていきましょう!