地方の交通は本当に最悪です。びっくりするくらいに不便です。1日に一本しか町内バスが走ってくれないという、恐ろしい環境が現実です。
ちょっと街までおでかけしたいと、朝7時10分の町内バスに乗ってみたのは良いけど、「私はどうやって家に帰る?」と、途方に暮れるのも至って普通で、車の運転ができなければ歩いて帰ることも、よくある話です。
生まれ故郷の金城町も、そのど真ん中にあります。今はどうしようもないことだけど、子供の時は楽しかったな〜、頭に浮かんできます。そんな昔、昔の田舎話をふわっとしたいと思います。
私が幼い頃は国鉄バスや地元の民間交通会社の石見交通が走っていました。何と!山奥の実家の前の道路にも停留所があったんですね。このバスに乗って中学校までは学校に通っていました。
当時は車掌さんと運転手さんのコンビが一般的なスタイルで、山奥にある終点のバス停付近には、民家に泊まる所が用意してあって、そこで寝泊まりして翌朝の1便で出発していました。そんなことをしていたら国鉄が潰れるのも真っ当なことでしょう。
小さな時からバスに乗っていましたので、だいたいは知り合いの人です。終点の一つ前の停留所なんで、人なんて誰も乗っていません。吊り手を体操選手並にこなして遊んでいても、ほったらかしです。車掌さんは大人向けの本を読んでいたり、運転手はタバコを吸いながら車掌さんと麻雀の話をしながら運転をしていたものです。
朝寝坊してバス停に私が居ないと、クラクションを鳴らして急げと言って来るし、定期券は買っていても顔パスで乗り降りしていました。友達の家に遊びに行くと友達の家の前で止めてくれたり、手を上げたら止まってくれたりと、国の公共機関を個人タクシーみたいの使っていました。
日曜日にちょっと洒落た服でバスに乗ると、
「おっ、今日はデートか?」
「どんな女の子か教えてや?」
「俺にもちょっと紹介してや?」
「これ見て勉強せえや」と大人の本をくれる
みたいな、法に触れる会話をして遊んでもらっていました。それが普通の毎日でしたね。それがとても楽しく、温かい毎日だったように思えます。今思えば近鉄に入社したのも運命だった気がします。そんなオッサンになりたい!と思っていたのだと思います。それから車掌さんはリストラされてワンマンバスになり、バスも廃便で今では1日に一本の町内バスが、やっとこさは息絶え絶えで走っている感じです。
ご老人も多くなり、足の確保は死活問題となっています。田舎ならではの乗り合いで、なんとかするしかありません。でも買い物をする店までが遠い。本当に日々の暮らしいには我慢と知恵、そして共存が必要になります。仕事に限界が来て、心にぽっかり穴が会いたら、昔のことを思い出します。もう一度あの感じに出会いたい!と思うものです。
小さなバスの運転手になって、自由に乗り降りできる買い物の足となって、余生を送ることも世の中のためになるかも?と思ったりします。その時の車掌は美人で若い女性が良いな〜。やっぱりこれって邪道ですかね。今日からゴールデンウィークです。自粛ムードではありますが、県内にバスの旅に出掛けくらいなら良いのではないでしょうかね。面白い発見がきっとあると思いますよ。
今日からゴールデンウィークです。自粛ムードではありますが、県内にバスの旅に出掛けくらいなら良いのではないでしょうかね。面白い発見がきっとあると思いますよ。